社会系の議論に対する根本的な思い – 自然科学をもっと見習って欲しい

先日「なぜ日本にリーダーがいないと言われるのか、ちゃんと論理的に議論しようよ」という書き込みをこのブログにして、はてぶなどに拾われて、サーバが2回もダウンするぐらいに多くに人に見ていただきました。

その後Wordpressにキャッシュのプラグインを入れて、サーバダウンの対策を施しました。

コメント欄にはあまり書き込みはなかったのですが、Twitterなどでいろいろな人が意見を述べていました。Twitterやはてなブックマークの意見をまとめてくれているのが以下のリンクです。是非ご覧ください。

はてなブックマーク

また自身のブログにいろいろ書いたり付け足したりしている方もいました。
「リーダーシップを妄信しすぎる日本国民」

もちろん短いコメントだけでは何とも言えないことが多いのですが、皆さんがそれぞれに考えているので、しばらく何回か眺めながら、自分も考えを巡らしたいなと思います(あの書き込みへのレスポンスが出てからというもの、正直仕事には支障が出ています。ハイ)。

そこで今回は、あの記事の裏にある僕の根本的な思いについて、簡単に紹介したいと思います。

社会科学系の学問に対する一般的な批判です。

リーダー論は孔子の時代から進歩していない?

昔の自然科学と現代の自然科学について比較してみます。

数千年前の自然科学と言えばWikipediaのアリストテレスの項が参考になります。これが全く間違っているというのは小学校高学年の子供でもわかります。数千年の間に様々な実験と観測が行われ、いろいろな理論が浮上しては消滅し、そうやって現代の自然科学の体系が築かれたのです。

昔の自然科学を信じている人はいませんし(宗教など特殊な理由は除く)、現代の自然科学の方が圧倒的に正しいと万人が考えています。そして自然科学に対する理解が増えたおかげで様々な技術も発達し、現代人は豊かな生活が送れるようになりました。

他方、社会科学はどうでしょうか。特にリーダー論に絞って考えてみましょう。

数千年前のリーダー論と言えば孔子の論語です。孔子は『仁(人間愛)と礼(規範)に基づく理想社会の実現』を論じています。人によって様々な意見はあるでしょうが、孔子の考えが完全に間違っていたとか、現代に全く合わないとか、もう無視してもかまわないとは言えないと思います。むしろマネジメント論のドラッカーと比較しても、正しいか間違っているかという意味での本質的に違いは無いと感じます。

孔子の考えは論理的には否定されていませんし、また実証的な方法(実験など)によっても否定されておらず、むしろ多くの人は引き続き孔子の考え方が現代でも有効だと考えています。またドラッカーの考えは非常に優れているものの、実証的に裏付けられていません。したがって孔子の考え方と比較してどっちが優れているかは基本的には言えませんし、ましてや証明はできません。

これは大きな違いです。自然科学では万人が認める、確固たる進歩が起こります。それに対して社会科学ははっきりとわかる進歩がなかなか起こらないのです。

理由は非常に簡単です。実証研究に対する姿勢の違いです。

自然科学は少なくともルネッサンス以降は、実証的な証明(実験棟か統計的な観測)がない限り、どんなに精緻な理論も認められません。

それに対して社会科学は実証研究をあまりやりません。「実験ができないから」という言い逃れを使って、あたかも実験はなくても正しい論理と間違った論理の違いは「議論」で見分けられると考えています。経済学関係のブロガーとして有名な池田信夫氏も、主流の経済学者が行動経済学(心理学実験を重視する経済学)の結論を無視する傾向にあることを紹介しています。「行動経済学」(池田信夫blog)

おおざっぱには、自然科学はGalileoの時代から進歩してけれども、社会科学はまだGalileoが生きていた時代にいると言えるかもしれません。どの理論が実験事実をうまく説明するかではなく、議論でどっちが勝つかが重視されています。実証データ無しの議論での勝ち負けはどっちかと言えばパワーゲームです。Galileoの時代は神学者が力を持っていたのに対して、現代では学会の主流が力を持っているだけの違いです。

自然科学の精神を社会科学に持ち込むには

僕が先のブログ書き込みをした理由とここからつながっていきます。

自然科学の大きな特徴は批判的精神です。どんな精緻な理論も実証的なデータ無しには信用しません(ドラッカーを読んで、実証データを見たことありますか?)。

社会科学もこれをやらないといけません。確かに実験はしにくいでしょう。環境のコントロールは難しいでしょう。しかしこれをやらない限り、社会科学者がやっていることはすべて机上の空論になる恐れがあります。何年かけても孔子以上のことができなくなってしまいます。だから実験や観察をしないとそもそも学者としての存在意義がないのです。

実験が難しいと言っても、実際にやっている人はいます。僕が知っている例をいくつか以下に紹介します。

  1. Neil Rackham “Spin-Selling” : セールストークと売り上げの相関関係をしつこく実験して、どうすると売れるかを実験的に検証しています。同時にいくつかの営業のテクニックを否定しています。(日本のタイトルがあまりにも安っぽいので原書を紹介します)
  2. Mintzberg “マネジャーの実像 「管理職」はなぜ仕事に追われているのか” : 実際のマネージャーの日々の行動をつきっきりで観察し、会社の中で行われている「管理」の実像(みんなが想像することとは違う)に迫っています。
  3. Geert Hofstede “多文化世界―違いを学び共存への道を探る” : 世界中の人にアンケート調査を実施し、結果を統計的に処理することによって国民性の違いを浮き彫りにしています。日本国民の姿も全く新しい観点から見られます。

またTEDTalksではDan Pinkがモチベーション論に関する実証的な研究の結果をおもしろおかしく紹介し(日本語字幕も選択できます)、主流の経営論の前提を真っ向から否定しています。

上記のやり方は実証科学をやってきた人間にとってはごく当たり前の手法ですが、社会科学系の主流ではありません。

僕はリーダー論の研究をしているわけではありませんが、自然科学出身なので批判的精神ならあります。社会科学を例外扱いにせずに批判的精神を適応しているだけです。

そうしないと、いつまでたっても社会科学のルネッサンスが来ないと思っています。