学術資料が退化している?

世の中は進化するべきで、退化していってはならない。
自分の後の世代には、より良い世界を引き渡してやりたい。

当たり前のように思うことです。

しかし、バイオの業界では一部で退化が始まっている気がしてなりません。

例えばABI社を買収して、バイオ業界のリーダーとして役割がますます期待されるインビトロジェン社。インビトロジェン社の刊行物のページを見てみると、学術的な刊行物は日本語翻訳をやめていることがわかります。

以前はFOCUSという製品情報紙を少なくとも日本語に要約していましたが、最近のQuestやBioProbesは英語だけを載せるようになってしまっています。いま日本語で定期発刊している雑誌は、BioHighwayという単なる製品プロモーション集です。実験データや技術情報を載せたものを翻訳することは、2003年にやめてしまっていようです。

そういう問題を顕在化させて、各メーカーが日本におけるサポートを充実させるインセンティブを与えるために、各メーカーの学術資料の比較表をバイオの買物.com上に準備しています。まだしばらく準備に時間がかかりますが、ご期待ください。

MacBookは愛着の沸くコンピュータ

Appleのウェブサイトに「東北福祉大学がWindows PCからMacBookにスイッチした理由」が掲載されていました。

利点はたくさん書かれていますが、以下に引用した言葉にAppleの魅力、そして一番大切なことが凝縮されているのではないでしょうか。

「MacBookを引き渡す際の講習会で“おおー”という感動の声が上がったんです。過去3年間、ノートパソコンを学生一人に一台配布してきましたが、これまでとは全く違う反応でしたね。女子学生なんかはやはり、箱を開けた瞬間に“かわいい!”と喜んでいました。iPodを配布するということも含めて、かなり反響は大きかったですね」

「MacBookは触っているだけでも楽しくて、愛着の沸くコンピュータ。それはすごく大事なことだと思います。」

企業の成果主義:ダイソンのCEOのコメント

普通の掃除機の数倍の価格でもどんどん売れてしまうダイソン社のサイクロン型掃除機。

そのダイソンのCEOとのインタビュー記事がNBOnlineに紹介されていました。その中で僕の考えにぴったり一致するところがありました。

 報酬についてしつこく聞いていたところ、マコートCEOは好業績と高報酬の話をしてから、次のように続けた。

 「CEOの私が最も落胆するのは、社員の誰かが給与や処遇、認知について不平を言った時。そうならないよう、私を含む経営陣は社員とコミュニケーションを深めることにコミットしている。我々は徹底してオープン。ダイソンで今何が起きているか、これから何をしようとしているか、あらゆることを社員に伝えるよう努力している」

企業の成果主義がどうして失敗するかについて、僕自身の経験談をブログに書きましたが、考え方はとても近いように感じました。

成果主義がうまくいかない根本的な原因は、経営者がビジョンや目標をしっかり示せないことにある。僕はブログでそのように書きました。ビジョンや目標、さらにそれを実現するプロセスがしっかりと共有されていないと、社員は自分の評価の基準を知ることができません。評価基準が曖昧だと、低い評価をもらったときに納得できなくなり、不平を感じることになります。そして大きくモチベーションを下げることにつながると。

人間というのは、低い評価を簡単を受け入れることができません。自分が悪いと思う前に、必ず環境や周りのせいにしようとします。そして環境や周りのせいにしていくうちに、自分の力だけではもうどうにもならないと感じるようになり、そしてやる気を失っていくのです。

ですから、低い評価がモチベーションを下げる方向に働くのではなく、発奮する方向に働くようにするのは容易なことではありません。社員が納得できるような会社のビジョン、そしてしっかりした評価基準が共有されていないと、成果主義は単にモチベーションを下げるだけになってしまいます。これは水が高いところから低いところに流れるのと同じぐらい,必然的なことです。人間はこういう風にできている動物なのです。必ずこうなってしまうのです。

これに対してダイソンのCEOは、会社で何が起きているか、これから何を使用としているか、あらゆることを社員に伝えることが重要だとしています。そしてそれが十分にできないと、社員が給与や処遇、認知について不平を感じることにつながると考えているようです。

まさにその通りだと僕は思います。

最後にダイソンのCEOの言葉をもう少し掘り下げたいと思います。どうして多くの経営者はあらゆることを社員に伝えるどころか、わざと隠したりするのでしょうか?コミュニケーションは不必要だと思っているからでしょうか?

僕が見てきた経験から考えると、それはコミュニケーションの必要を感じていないからではありません。そうではなく、議論に負けるのが怖いのです。自分に本当の自信が無いから、社員の中にいる論客を恐れているのです。そこで情報を隠して、自分の優位性を保つのです。別に悪意をもってやっている訳ではありません。動物なら誰もがもっている、単なる自己防衛本能です。

これについては長くなってしまうので、またきっかけがありましたらブログで話します。

携帯電話に動画と音楽は必要ない

アンケート調査の結果、携帯電話の動画も音楽も「あれば使う程度」の人が、全利用者の50%だそうです。
使っている人も最初に試した程度の人が多いみたいです。

しかも「携帯性」を利用しているのではなく、特に動画は自宅で暇なときに見るのが70%だそうです。携帯に動画機能をつける必然性は無いということですね。

日本の携帯メーカーが技術的に強みをもつのは音楽だとかテレビなので、利用者のニーズとは関係なくいまの日本の携帯電話は進化したのでしょう。

これから日本でも普及する、iPhoneをはじめとするスマートフォンは、パソコンでやることを携帯電話でやる方向に進化しているものです。日本はパソコンの技術は世界に自慢するほどではなく、携帯ほどはひどい状況じゃないにしても、やはり世界では全然売れていません(東芝を除いて)。

日本の携帯市場が、1990年代のパソコン使用のように、外国製品にあっさり侵入を許すのはもはや時間の問題でしょうか。

携帯で動画利用経験者は約6割、音楽利用経験者は約7割、でも利用頻度は低め

企業の成果主義

議場の成果主義について、主にそれが”ひどい状況”にあることを紹介した記事がNBOnlineに複数紹介されていました。

実にいろいろな視点から成果主義の問題点が取り上げられていて、逆に何が問題なのかがわからなくなってしまっている感じがします。たくさんの記事はありますが、「それでいったいどうすればいいの」が全く見えない企画になってしまったようです。
「人はどうやって人を評価するべきか」。これが如何に大きな問題かがうかがえます。

さて、僕自身は成果主義を実施している企業を2社経験していて、管理職という立場で人を評価する側にもいましたが、いずれも”ひどい状況”であったことは確かでした。ですから、上述に書かれている記事が云わんとしていることはだいたいわかります。

ただそこで何が問題だったかをいきなり話してしまうと、上の記事のように多くのバラバラな意見に単に一つ別の意見を追加するだけになってしまうので、やり方を変えます。

そこで僕は、実際に成果主義の問題が起こるメカニズムを、自分が見た通りにミクロに追跡したいと思います。

ビジョンが形成されないメカニズム

僕が経験した会社はビジョンとか企業理念がしっかりしていませんでした。ビジネスに関する書籍では繰り返しビジョンの重要性が主張されているにもかかわらず、会社の経営者はそれを実感できていないようです。その結果、ビジョンは非常に曖昧なものになってしまっています。

しかし、成果主義にはビジョンが重要です。成果主義的に人を評価するシステムは、会社のビジョンや目標に対して、個々の社員がどれだけの貢献をしたかを見ます。ですから会社のビジョンが無いと、貢献する対象が無くなってしまい、評価ができなくなってしまうのです。ですから僕が経験した人事評価システムの中には、必ず会社のビジョンや目標が記載されている欄がありました。

問題はそのビジョンとか目標が作成されるプロセスです。このプロセスは実にみっともないものでした。

会社の経営陣はビジョンの重要性を十分に認識していないため、ビジョンや目標の作成は後回し後回しにしてしまいます。そして人事評価目標の提出の直前に慌ててビジョンを作成していました。当然、関係者と対話を繰り返し、お互いが納得できる目標が出てくるはずはありません。しかも自分自身も日頃からビジョンについて考えていないので、単なる思いつきでビジョンが出来上がってしまいます。

僕自身が経験した最悪のシチュエーションは、前日の社長の話を聞いて変な刺激を受けて、「すべての社員が営業だ。私も営業だ。」というのを20時間後に事業部のビジョンにしてしまった事業部長でした。そこまで狂っている人は稀としても、ビジョンや目標がこの程度にしか重視されていないのは一般的でした。

当然ながらビジョンは突然、ほとんど一人で決まってしまいますので、そのビジョンをどのように実現するかは全く共有されないで決定されてしまいます。つまりビジョンは机上の空論でしかないのに、人事評価の目標設定に取り込まれてしまう訳です。

単なる数値目標でしか評価されなくなるメカニズム

ビジョンというのは、判断と行動の規範です。それに対して金銭的な数値目標は、その行動を実践に移したことによって生まれた結果です。

上述のようにビジョンがしっかり決定されないと、判断と行動の方向性が生まれません。そのため、成果目標に行動やプロセスを盛り込むことができなくなってしまいます。ビジョンが無いので、何をやるべきで何をやるべきでないかが定まりません。つまり、ビジョンが確立されないことによって、プロセス重視の成果目標を立てることが不可能になる訳です。

プロセス目標が立てられないので、仕方が無いから数値目標、それも売上とか利益の数値だけが立てられます。最悪のシナリオです。しかも数値目標をどのようにして実現するかが明確にされていないので、この数値目標はエイヤーと決まったものにならざるを得ません。

もう一つ数値目標重視に傾くメカニズムとしては、現場をあまりにも知らない経営陣があります。このような経営陣の場合、プロセスを全く理解できないのです。彼らが理解できるのは売り上げがどうなったか、利益がどうなったかだけなので、自然と単なる数値目標を重視してしまいます。

数値目標といっても、その目標の適切さがわからない

上述のようにビジョンが無く、目標を実現するプロセスも明確にできない状況では数値目標に頼らざるを得ませんが、こうなってしまうと頼りの数値目標だっていい加減なものになってしまいます。

何が普通の努力で実現可能で、ちょっと背伸びするとどこまでできるかがわからないのです。プロセスが見えていないから。

そこで数値目標は自然と、対前年比何パーセントアップというのはおおよそ一律に設定するにとどまります。もしくは外資系などの場合は、本社から降ってきた数字をテキトウに配分して、つじつま合わせをします。そのテキトウというのは非常に不透明なので、とてもまずいです。

このいい加減な数値目標が設定される環境というのは、ものすごくモチベーションを下げます。お互いが平等な環境の中で実力をしのぎ合って、結果としてそれぞれに差がついてくることについては、ほとんどの人は納得するものです。しかしえこひいきだとか、政治的な巧妙さとか、そういうことで目標が低くしてもらったのではないかとお互いに疑い始めたらモチベーションは地に落ちます。

いい加減な数値目標が設定され続けると、最悪の事態を招きます。

そしてもう一周

モチベーションが下がっているのを見ると、「成果主義」の幻想に取り付かれている経営者は、給与のうちの成果報酬分を増やそうとします。結果責任をもっと強く追求すれば、みんなもっと必死になってくれるのではないかという期待です。そしてこれに加えて、いろいろなコンテストをやりだして、モノで部下を引きつけようとします。このときももちろんいい加減な数値目標を基準にしたコンテストにします。

もちろんやればやるほどモチベーションが下がります。でも「成果主義」の幻想から覚めないと、経営者はこれを何回でもやってしまうのです。

最後に

これが僕が自分で見た、成果主義が最悪の事態を招く過程とメカニズムです。

成果主義が悪いのではありません。でも成果主義をやる以上、経営者はなあなあな時とは比べ物にならないほどにビジョンと目標をしっかり立てて、透明性のある評価を心がけないといけません。

残念ながら、多くの経営者はその資質を持っていません。経営者にしてはいけない人間を経営者にしてしまっていること。これが日本の成果主義が機能しない理由だと、僕は思います。