オリンピックエンブレム原案が捏造されている可能性について考える

佐野研二郎氏がデザインした東京2020オリンピックエンブレムの原案が公開された。これを公開した記者会見では、大会組織委員会はエンブレム制作と修正のプロセスを公開することで、リエージュ劇場のロゴを真似たわけではないことを主張した。そのことはある程度成功しているようだ。真似たことを疑う報道やインターネットでの書き込みはかなり減ったように感じる。

しかし私はまだ納得できないでいる。この原案と修正案がどうもおかしいのだ。8月5日に佐野件二郎氏がコンセプトを説明してから20日以上がたっているが、この間につじつまが合う説明を考え、それを裏付ける証拠を捏造していたのではないかと私は疑っていた。ここまでひどいことをするとは本当は考えたくないのだが、問題の大きさを考えるとそこまで検討に入れなければならないと私は考えていた。そして残念ながら今回公開された原案は、その捏造の可能性をより強く感じさせるものだと感じている。以下に私がそのように感じる理由を紹介したい。

原案
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修正案
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最終案
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  1. 原案が非常にダサい: これはインターネットを見ても、多くの人が感じているようだ。私は最初にエンブレムを見たときも非常に違和感があり、このエンブレムはオリンピックには向いていないと感じていた。オリンピックにはふさわしくはないものの、デザインそのものとしてのまとまり、完成度、重厚さは優れていると認めていた。しかし原案は完成度、重厚さすらない。バランスに欠け、色合いもただただ軽率な感じで、何よりも安直な感じが強い。これが審査を勝ち抜くのは、到底考えにくい。
  2. 赤い丸が下にあることの違和感: 最終案ではこの赤い丸は鼓動する心臓を表していると佐野氏は解説していたが、同時に日の丸を意識しているのは誰の目にも明らかであった。国旗である日の丸を一番下、地面に配置するのか?日が昇るというイメージではなく、日が沈むというイメージにするのか?「日」「太陽」のイメージとして、それはさすがに理解に苦しむ。
  3. 以前のコンセプトとの不一致: 以前の佐野氏の解説では、真ん中に大きな丸を意識していた点、さらにDidot, Bodoniのフォントの中に日の丸をイメージした点などを述べている。しかし原案を見ると、円形になっているのは赤い丸だけであり、それ以外には曲線は一切なくなっている。佐野氏が解説したコンセプトとは全く合わなくなっている。したがって原案のコンセプトとして全く別のコンセプトが存在していたと考えざるを得ず、修正過程でコンセプトをまるっきり変更したということになる。本当にそんなことをしたのか、強く疑問を持つ。

むしろリエージュ劇場の訴訟をそらすために、あえて中心の大きい円形をなくし、直線中心のデザインに変更し、右下のグレーの箇所を上に移動させ、行き場所を失った赤い丸を下に移動させたのではないか。あえて訴えられないような原案を捏造したのではないか。そう考えたほうが以上の疑問点をうまく解説できる。もちろん普通だったらここまでの捏造はしないだろうと常識的に思う。しかし今回の問題が非常に大きいことに加え、選考過程が非常に閉鎖的であり、20日をかけたこと、そしてなおかつ佐野氏には盗作の前科がある。捏造を疑うのに十分な理由は揃っている。

さて、捏造を疑っただけでは物事は進まない。本当に捏造があったかどうかは証拠を集めないといけないし、そのためには第三者委員会に調査してもらったり、裁判で証拠との提出を要求されたりする必要がある。もちろん佐野氏に盗作の前科があるし、また著作権を軽く考えているという発言もあったので、状況証拠には事欠かないものの、決定的な証拠がない。捏造があったとしても、それが表面化するのはかなり可能性が低いかもしれない。

その一方でやはり誰しもが思うことは、原案として公開されたデザインがあまりにもダサいこと。これは佐野氏のデザイン力をはじめ、審査委員会の公平性を疑うには十分すぎる。今回の記者会見で、法律的には盗作ではないという主張はしやすくなった。しかし一般市民がオリンピックエンブレムを尊敬できなくなる理由はむしろ増えた可能性がある。

また今回の記者会見程度でリエージュ劇場側が裁判を取り下げることは考えにくい。IOCは依然としてこのエンブレムを使い続けようとするでしょうし、そうである限りはリエージュ劇場側は法廷で戦うつもりでいるだろう。

何れにしてもどっちの方向にも決定打が出ていないのが現状ではないかと思う。このまま収束してくれるような気もしないので、次の展開が待たれる。

永井一正さんのコメントを考える:東京オリンピック2020 ロゴ問題

東京オリンピック2020の公式エンブレムの盗作疑惑について、審査委員の代表、永井一正さんがコメントをした。

まず第一印象としては、非常に丁寧な印象がある。というか、まともである。ネットで「佐野チルドレン」と呼ばれている、佐野研二郎氏を擁護するデザイナーたちのあまりの下品さと比べると、「あぁ、こういう話し方をする人の意見ならちゃんと真面目に聞いてみよう」って思わせる。

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ただ、だからと言って永井さんのコメントを鵜呑みにはできるわけではない。この問題は依然として不思議な点が残っているからである。

そして永井さんのコメントの一つ一つを取り上げて、それを疑うことは私はあえてしない。なぜなら今回の問題の大きさを考えれば、永井さんを信じる切る十分な理由がないからである。ここまで大事になったからにはすべてに懐疑的にならざるを得ない。

それよりも以下のことに注目するべきだと感じる;

  1. 問題が表面化してから20日以上経ったタイミングで初めてデザインの変遷に言及したこと。本来であればこれは8月5日の記者会見で言及があってもおかしくないし、私も、大阪芸術大学の純丘曜彰教授も、そしてベルギーの劇場のデザインを手がけたOlivier Debie氏自身もここを突いている。これだけの間、審査員に口止めをしていたという事実だけははっきりしている。その裏には、何か疑わしい事情があったのではないかと想像してしまう。
  2. 「個人的には、応募されたほかの案や審査の過程も公表した方がいいと思う」と永井氏はコメントしているが、この含みのある表現が気になる。大会組織委員会が記者会見を開くのではなく、永井氏が朝日新聞の単独インタビューに応じる形でこの情報が出てきているのも疑わしい。大会組織員会が本気で審査過程を公開するつもりなのか、それとも時間稼ぎをしようとしているのか。どちらかという後者のように見える。

何しろごく少数の審査員が密室で議論を行ったというだけの審査過程である。しかも、もし佐野氏のオリンピックエンブレムを取り下げるとなると、審査員自身にも損害賠償責任が及ぶ可能性だってあるし、デザイナーとしてのキャリアはもちろん大きく傷つく。審査員としては嘘をついてでもなんとかやり過ごそうと思うはずだ。そしてそのために時間稼ぎをした可能性は否定できない。

永井さんのインタビューはその疑念を払拭するものではなく、考えようによってはより疑念を深くするものであったと私は感じる。

STAP細胞をめぐる研究不正でも第三者による不正調査委員会が立ち上げられ、調査が進められた。今回のオリンピックエンブレムの件でも是非そのような調査をしてほしいものである。

東京オリンピック2020ロゴ訴訟、全面敗訴になる可能性について

佐野研二郎氏がデザインした東京オリンピック2020の公式エンブレムが自分が作ったリエージュ劇場のエンブレムと極めて似ているとして、ベルギーのオリビエ・ドビ氏がエンブレムの使用の差し止め訴訟をベルギーの裁判所に起こしている。これはもうすでに報道されている

これに対して大会組織委員会はこのデザイナーを激しく非難する声明を発表した。恐らくはやましい点は一切ないことを世間に知らしめるためにあえて強い口調の声明を出したと思われるが、このままだととりあえずは裁判が行われるのではないかという感じになります。

さて、訴訟対策として本当にこれで良いのでしょうか?この点をちょっと考えてみたいと思う。なお私はこのような訴訟には特に詳しくありませんが、アップルとサムスンの特許訴訟はフォローしていたので、その時の状況を思い起こしながら考えたいと思う。

何を証明する訴訟なのか

以下に東京オリンピック2020の公式エンブレムとリエージュ劇場のエンブレムを並べてみた。一見して似ているものの、完全に一致しているわけではなく、異なる点も多い。とはいえ、リエージュ劇場のエンブレムを題材にこれを加工したものだということになれば、日本の著作権法でいう二次的著作物に該当するだろうと思われる。これはヨーロッパや米国ではderivative workと呼ばれるものである。

二次著作物は元の著作物を利用するので、元の著作物を使用する権利が当然ながら必要になる。今回は当然ながら元の著作物を使用する権利は譲り受けていないので、焦点は東京オリンピック2020のエンブレムが二次著作物に相当するのかどうか、つまり元の著作物を利用したのかどうかにかかっていると私は理解している。逆に佐野研二郎氏がリエージュ劇場のエンブレムとは全く独立にデザインをしたということであれば、全く問題はない。

つまり裁判の争点は、佐野研二郎氏がリエージュ劇場のエンブレムを利用したかにかかっていると思われる。当然ながら裁判の過程で、これに関する証拠集めが行われることになる。

そして証拠集め活動そのものが、佐野研二郎氏、審査員を務めたデザイナー、広告代理店、そして大会組織委員会に不利になる可能性を考えないといけない。

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アップル対サムスンの裁判では社内機密情報の公開までも要求された

アップル対サムスンの訴訟では、意図的な特許侵害があったのかどうかを確認する目的で、サムスン社の社内メールが弁護士によってくまなく調べられ、裁判に関係するものは法定資料として公開された。またアップル社の社内メールも一部公開された。メールだけでなく、機密性の高い社内会議資料なども公開された。このように証拠として重要な資料であれば、本来は隠しておきたい内容であっても公開させられてしまうのが裁判である。

今回のケースでは、佐野研二郎氏が果たしてPinterestなどのサイトから画像をダウンロードしていないかを確認したり、公式エンブレムを作り上げるまでの様々なバージョンを見たりしないと、リエージュ劇場エンブレムを利用しているかどうかが確認できない。したがって予想ではあるが、裁判所がMR-design社に資料の公開(メールを含む)を要求するだろう。

もしもその中に審査員の癒着とかを示す内容が含まれていたら…。それは最悪のシナリオだ。

敗訴するのか、和解するのか

勝訴にこだわればこだわるほどMR-design社は社内の証拠を出していかないといけないのかもしれない。そんなことよりもとっとと負けたり、あるいは和解した方が得かもしれない。裁判で勝つよりも、裁判の過程で機密情報がバレることの方がダメージが大きいかもしれない。今回の件はそんな可能性を感じさせる。

個人的にはどんどん争って、広告代理店との癒着関係が公開されていくことを期待はする。しかしエンブレムを取り下げ、和解してしまえばおそらくベルギー側からの訴訟は終わってしまい、すべてが闇に葬られてしまうかもしれない。それはそれで非常に残念である。

以上、著作権裁判、特にヨーロッパのそれの仕組みを一切知らずに想像で書いたが、今回の件は色々と裏がありそうなだけに裁判を戦い抜くのはかなりマイナスではないかと感じざるを得ない。大会組織委員会が勇ましくベルギー人デザイナーを非難したのは、本当にそれでよかったのかどうか。早期和解の可能性を遠ざけて、機密情報がバラされる最悪のシナリオに近づいてしまっていないか。私としてはそれが気になる。

Update

今回の私の議論について、より専門的な見地から解説しているのが大阪芸術大学の純丘曜彰 教授。こちらの書き込みでは、構想スケッチがあれば盗作の疑いを晴らせること、そして現状では裁判に不利であることなど具体的にを述べている。

以下引用

 商標がどうであれ、著作権は、ベルヌ条約によって無方式主義、つまりなんの登録も無しに、ただ創作しただけで、その時点に発生している。ただ、著作権に基づいて権利侵害を主張するには、類似性だけでなく、依拠性(パクったやつが自分の作品を知っていたということ)を立証しなければならない。その立証責任は、原告側にある。たとえネットで知りえた、としても、相手が知っていたという事実を証明するのは、なにぶんにも相手の側に経緯の資料がある以上、かなり困難だ。(へたに自分の構想スケッチを出すと、その画像から、知っていたということを証明してしまう(知っていたということにされてしまう)危険性があるので、記者会見で、それがあるにもかかわらず、それを出すのを弁護士に止められたのだろうか。)
 ただし、この依拠性は、間接事実からの推認でも十分とされている。すなわち、①知りえた可能性、②類似性以上の酷似性、③オリジナルの周知性、の3点が証明できれば、依拠した、ということになる。逆に、弁護側は、①絶対に知りえなかった、②それほど似ていない、③それほど有名じゃない、と抗弁することで、独立創作としての別個の著作権の存在を証明する。

サントリーのトートバッグの一件で、このデザイナーがpinterest、その他、ネットのかなり奥深いところから巧妙に素材を拾ってきていることが完全に明らかになってしまった。これまた、①知りえた可能性、というだけでなく、実際にネットで知った事実性がかなり高い、ということを自分で立証してしまったようなもの。おまけに、②酷似どころかまんまコピペの常習犯、となると、当該エンブレムに関してのみ、似ていない、関係が無い、などと主張する方がもはや難しい。

Update 2

本日、8月26日に朝日新聞に掲載された永井一正氏のインタービューだが、現時点では状況を変えるほどのインパクトはないと私は考える。その根拠については新たに書いたが、要は永井一正氏の言葉を信じる根拠が弱すぎるのである。

現象を最もエレガントに説明する説:東京オリンピック2020 ロゴに何があったか

サイエンスにしても何にしても同じだと思うが、観測されている現象を最も矛盾なく、エレガントに説明している説や理論が最も信憑性が高いと考えるのが自然であると私は思う。それが仮に2ちゃんねるのような怪しいところに現れた説であっても、その出処が重要ではなく、その説明能力こそが重要である。

その意味ではここに投稿された内容が非常に気になる。

五輪エンブレム 取り下げるべき と広がる波紋  問題ない と組織委★17

関係者から聞いた話をマジレスすると オリンピックパクリエンブレム決定の際博報堂社員からリエージュエンブレムと類似しているからと指摘があったらしい
本来はこの時点で失格になるはずなんだが 博報堂幹部がリエージュ側に了解をとるから大丈夫としたが、予想に反していくらお金を積もうともリエージュ側は了解しなかった
仕方なくデザインをギリギリの線まで変更したらしい
それで発表したのだが リエージュ側からクレームが出た
もともとは円の輪郭も大きくそっくりそのままでLの三角のところに日の丸があるだけで明らかなパクリデザインだった
審査員にはここまで大幅に変更したことは口止めしている

参考までに下に各ロゴを示した。

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佐野研二郎氏にまつわる今回の事件では不思議な点が多く、もっと裏があるはずだと多くの人が感じている。この投稿された内容を信じると、その不審点の幾つかが見事に説明できる。

  1. どうして事前に似ていることに気づかなかったか?: オリンピンクほどの大イベントであるから、エンブレムが他のものに類似してしまっていないか、事前に十分に確認が行われているだろうとは誰もが想像する。今回の投稿では実際に博報堂の社員から類似性の指摘があったということなので、この疑問点が解消される。
  2. リエージュ側がどうして大物弁護士を雇って訴訟を起こすのか?: 盗作されたと訴えているデザイナーはそれほど有名な人ではないのに、どうして費用が相当にかさむであろう大物弁護士を雇うことができたのか。また類似性はあるとしても、偶然の類似の可能性が否定できない程度なので、どうしてそこまで確信を持って訴訟を起こせるのか。私にはこの2点は疑問だった。しかし事前にリエージュ側と博報堂が水面下で交渉をしていて、その交渉が決裂していたということであれば納得がいく。リエージュ側としては絶対に勝訴できる盗作の証拠を握っていることになるので、勝訴を確信していることになる。

今回は私が確実におかしいと思っていたことに限定して解説を試みた。不審点はまだ他にもあるので、今後も今回投稿された情報の視点から考えてみようと思う。

それにしても、現象を最もよく説明する説であるとはいえ、この話はあまりにも汚すぎる。最も信じたくない説の一つであるのは間違いない。

アップデート

不思議に思っていることをもう少し追加する。

  1. どうしてそもそも佐野氏の作品が採用されたのか?: 私はデザインの優劣を評価する立場にはないが、このエンブレムは一般人の間では必ずしも評価が高くない。むしろはっきり言ってかなり低い。そのような作品がどうして採用されたのかが謎であった。今回の投稿によれば、どうやら博報堂の影響力が相当に強いようである。選考過程において博報堂の利益誘導があったとしても全く不思議ではない状況といえる。

なお確認はできていないが、これについては以下のツイートも気になる。本当であれば佐野研二郎のデザインが採用されるのは最初から出来レースであったということになり、なおかつそのことを利用しビジネスを有利に展開していた広告代理店の姿が見える。

多摩川 慰安婦問題さんはTwitterを使っています 東京五輪エンブレム発表会は7月24日 高崎卓馬は五輪エンブレムの選考委員 電通の高橋が佐野研二郎を前面に打ち出した 夏は昼からトート キャンペーン を 東京五輪エンブレムで佐野デザインがブレイクします ってサントリーにプレゼンしたのが5月のGW前後w FX Kuririn

アップデートその2

まだ一つ、私には理解できない大きなポイントが残っている。今回の投稿を含めて考えても理解できないでいる。それは、どうして大会組織委員会がベルギーのオリビエ・ドビ氏をかくも強く非難したかである。

我々の詳細な説明に耳を傾けようともせず、自らの主張を対外発信し続けたうえ、提訴する道を選んだ態度は公共団体としての振る舞いとしては受け入れがたい

これは真っ向から裁判で対決しようという姿勢であり、早期の和解の可能性を遠ざけるものである。よほどの勝算がない限り、それも早期に決着がつけられる自信がない限り、このような発言はしないと考えるのが普通であろう。なぜならばオリンピック関連のグッズ制作などは始まっており、スポンサーの広告などでもエンブレムが使用されるはずだからである。万一敗訴した場合にはその時点からすべてを作り直さないといけないわけで、故意が判明した場合には賠償責任を負うからである。裁判は数年かかるのが普通であるから、決着がつくまで戦うとオリンピック直前になる可能性があり、傷口が浅いうちに早期に和解するのが得策だろうと私などは思う。もちろん和解を有利に進めるための作戦もあるだろうが、ベルギー側を強く非難することはさすがにリスクが大きいと感じる。

今回の投稿と矛盾しない説明をするためには、エンブレムの類似性に気づき、秘密裏にベルギー側と交渉していたのは博報堂までで、大会組織委員会には知らせていなかったと考えないといけない。大会組織委員会に対して、博報堂などが「絶対大丈夫」と委員会に伝え、ナイーブにも委員会がそれを信じたと考えないといけない。そんなことがありうるのかどうかは業界の体質を知っている人間でないと何とも言えないと思うが、もしそうだとするならばあまりにも博報堂が傲慢だったと考えざるを得ない。また大会組織委員会もあまりに楽天的だと考えないといけない(ただし競技場の予算見積もりの報道を見る限り、組織委員会がそれぐらいに楽天的である可能性は否定できない)。

アップデートその3

日刊サイゾーに『佐野研二郎氏の五輪エンブレム“盗作問題”「損害賠償」を恐れる利権構造の闇』と題された記事が8月19日に掲載され、今回の問題の裏で動いている広告代理店について解説している。特に新しい情報はないが、今回取り上げた2チャンネルの投稿を裏付ける内容となっている。

Material Design and Opaqueness

I’ve been playing around with Material Design for a few days, and the most striking thing for me is the opaqueness. This is in stark contrast to iOS 7 and iOS 8.

Since iOS 7, Apple has gone to significant lengths to make the toolbars at the top and bottom of the screen translucent. To do this without decreasing the legibility of the frontmost element, Apple uses a frosted glass effect which is apparently quite computationally expensive and is not used in less powerful devices (for example, the iPad 2 reverts to simple transparency for some elements). Apple has mentioned that the goal was to make the underlying content stand out and to minimize distraction from the control UI elements. You also see a lot of iOS apps using gray toolbars, which also helps to emphasize content instead of the app.

On Material Design however, they do not use translucency anywhere. Everything is an opaque surface, just as paper is opaque. Although Material Design emphasized depth and the z-axis, this is conveyed solely through the use of shadows.

The feeling of opaqueness is further fortified by the use of bold colors for UI controls. Whereas iOS apps often use only a humble gray color as the background for the UI controls, Material Design encourages bold colors. The effect is that the toolbar and buttons make a very strong impression and feel omnipresent, a sense of opaqueness.

The new iOS design and Material Design feel very different. iOS feels very light. Material Design looks a bit heavy on the top.

Although opaqueness itself is neither good nor bad, in terms of the history of computer UI design, it does feel a bit backward. It feels like going back to the Windows XP days since every PC-OS since then has used translucent elements. The bold colors of Material Design are also reminiscent of the vivid toolbars of that OS, which fell out of fashion since. Similarly, iOS moved from an opaque design to a translucent design. I am wondering if the absence of translucency in Material Design is a result of having to make it work well on cheap devices which don’t have good GPUs.

iOS WWDC 2014 app

Note the translucency on the leftmost image, on the bottom toolbar.

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Google I/O 2014 app

Running on KitKat but using Material Design.

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Gmail with Material Design

I was just thinking about Material Design within Google’s own apps, and it occurred to me that at least in my case, the Gmail app would never look like the screenshots on the web.

For example, the screenshot below was taken from CNET and it surely looks nice (Material Design on right, current design on left).

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However, my Gmail account on my Android phone actually looks like this (yes, I only use my Gmail account to sign up for newsletters and mailing lists. I never use it for communicating with someone I know, but you get the idea);

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When the current Gmail cannot find a photo, it uses the first letter of the sender’s name instead. This is totally ugly, and what’s more, completely useless.

I wonder how Material Design solves this…

Or maybe it’s a setting deep in the menus…

I think we have to keep in mind that when we communicate with close friends, we tend not to use email anymore; we use messaging services, Twitter or Facebook. For these accounts, we often have photos. Emails are for work, mailing lists, notifications, etc. We normally don’t have photos for these. At least, I don’t.

To come to a good design, designers have to understand how the product will be used, in what context and with whom. At least, I think that is how good designers are supposed to approach problems.

Problems Using Tabs Instead of Navigation Drawers in Android

A few days ago, I wrote about how the Navigation Drawer (side-navigation or hamburger menu) was removed from the Facebook app and was seemingly going out of vogue. In the case of Facebook, they used a Tab Bar in an implementation that was almost identical to how iOS has been using it (in the clock app for example) since the very first iPhone. This implementation is the default behavior of the TabBarController in the iOS SDK and is ridiculously easy to set up.

For the Android app, Facebook used the Tabs UI element in the Android SDK in a way that mimicked the TabBarController. This is not the way Google has been using it in their Google Play app for example, but it isn’t much effort to get it to work. Their result is the following screen shot.

However, there is one important deviation from the implementation in iOS. That is the icons do not have any descriptive text associated with them, so you have to understand what each button does from the icon alone.

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Compare this to the iOS app (below). In the iOS app, each icon has a descriptive text label which makes it easier to understand the function of each button.

Although I cannot claim to have a good understanding of why this is the case, I have observed the following which is likely relevant to some degree;

  1. The iOS SDK makes it very easy to add miniature text below the icon to aid users who are unfamiliar with the icons. You simply write the text in a field in the graphical UI design software. It is important to note that this was available since the original iPhone with its 3.5-inch non-retina display, which suggests that Apple viewed the text as a necessity for users unfamiliar with the icons.
  2. The Android SDK makes it similarly easy to add text. However, instead of placing miniature text below the icon, the Android SDK simply adds regular sized text to the right of the icon. This makes the button much wider, and in the case of the Facebook app, you would no longer be able to fit the five buttons.
  3. This is of course quite easy to fix. For example, you could simply add the miniature text to the icon graphic file. It is unclear why Facebook decided not to do this since Facebook generally adds text whenever possible to their icons to clarify their functions. It is unfortunate though that this issue discourages developers from adding text.

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Summary

The Android SDK has provided Tabs which allow applications to mimic the behavior of iOS TabBarControllers. However, they have omitted an important feature that would have made it easier for users to understand and explore new features.

In my own development, I doubt that I would ever use my own custom icons without explanatory text. On the other hand, I would also never let a tab bar overflow so that the user has to scroll to see all the tabs. I’m also very hesitant to use a Navigation Drawer because this creates an “out of sight, out of mind” situation and is very bad for discoverability.

Wither Navigation Drawer?

I’ve been thinking about mobile app design for our new Ponzu iOS app.

I’ve noticed that the Navigation Drawer has been removed from the new Facebook app, and instead, they are using either the native Tab Bar Controller in iOS, or Tabs in the Action Bar for Android. Let me explain.

Facebook changes

I’m using images I got from the web instead of my own devices, because I’ve already updated them to the newer versions of the Facebook app.

Previous Android Version

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The hallmark of the previous Android version is the “Navigation Drawer“. This is summoned by clicking the button on the upper left of the screen with causes the top view to slide to the right, revealing a menu list (right image).

On the left image, you also see use of drop-down menus from the Action Bar (the top bar). Interestingly, these items on the Action Bars are also included in the Navigation Drawer, creating redundancy.

The Navigation Drawer pattern was invented by Loren Brichter and was popularized by Facebook. Since then, it has been included into the Android SDK so any Android developer can easily use it, and it has been used extensively in mobile optimized web sites.

To see why Google thinks that this is a good navigation pattern, see their documentation. They basically use it at the root-level in the app’s navigation hierarchy.

New Android Version

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In the new Android version, we can see that Facebook has totally ditched the Navigation Bar, and instead are using Navigation Tabs within the Action Bar (a more graphical example).

This navigation scheme is very similar to Tab Bars in iOS. Tab Bars have been supported in iOS since the very beginning (iOS 2.0). Android used to have them as in iOS but they don’t seem to be actively supported in the SDK any more.

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In fact, Facebook is using Android Navigation Tabs within the Action Bar in a manner that is much closer to the iOS Tab Bars in comparison to how Google is using them in their own apps. In Google’s apps, Navigation Tabs are typically present only at a high-level of the navigation hierarchy. They disappear as you move deeper into the application hierarchy. On the other hand, iOS Tab Bars are always present, providing the user with a global navigation element. In Facebook for Android, they put Navigation Tabs on every page, much like how iOS works.

Summary

In a nutshell, Facebook has ditched the Navigation Drawer pattern that it popularized. Instead it has migrated to the Tab Bar navigation pattern that was present since the very first iPhone.

This really shows how much thought went into the original iPhone UI, and how much they got right the first time.

As for reasons why the Navigation Drawer was not a good idea for Facebook, let me give my thoughts;

  1. To serve as a global Navigation Element, the Navigation Drawer has to be present at all times. However, the position of the Navigation Drawer button is the same as the “Back button” (or the “Up button” in Google’s weird terminology) and hence the two cannot coexist. If you want to display a “Back button”, you can’t display a Navigation Drawer. Hence the Navigation Drawer is relegated to the root-levels of the app navigation hierarchy and cannot be used in deeper levels. Essentially, the Navigation Drawer cannot be used for global navigation.
  2. The contents of the Navigation Drawer are hidden. Therefore, features that are only accessible from it will tend not to be noticed by many users. That is why in the previous design, Facebook put the more important menu items in the Action Bar (top bar) as well. Naturally this causes confusion because the same buttons are present in multiple locations but it’s better than losing large amounts of user enagagement.
  3. Since the Navigation Drawer is used mostly at the root-level pages, you could easily use a root page instead. Instead of sliding the Navigation Drawer from the left, you could simply provide a Back Button and show the list of menu items as a separate page. Since everybody is familiar with the Back Button, it becomes very natural for users.

Items 1. and 2. are closely related and have very much to do with the feeling of being “lost” within an app’s hierarchy. Regarding 1., having a global navigation visible at all times makes it easy to get back “out of the woods” so you always feel safe. Without one, you would have to tap the back button many times, and you probably have no idea how may taps you need. Unless your app hierarchy is shallow, you need global navigation at all times. As for 2., if the contents are hidden, users are not going to quickly learn what features your app provides. You should help users learn as quickly as possible by showing the list of important features often.

AppleのiOS 7紹介ビデオからデザインコンセプトを学ぶ

バックアップ

iOS 7の紹介ビデオの中で、Jonathan Ive氏がいろいろ大切なことを言っていますので、そのメモ。

True simplicity is derived from so much more than just the absence of clutter and ornamentation. It’s about bringing order to complexity.

Distinct functional layers help establish hierarchy and order, and the use of translucency gives you a sense of your content.

In many ways, we have tried to create an interface that is unobtrusive and differential. The design recedes, and in doing so actually elevates your content.

AppleのIntentionとiOS7のデザインについて考える

iOS 7のデザインについて、以前にもこのブログに書きました。デザイナーの多くがiOS 7のデザインを酷評しているにもかかわらず、ユーザの多くは高い評価をしているという乖離が私にとってはとても興味深いと感じています。

これを考える上で、AppleがWWDCで公開したIntentionと呼ばれているCMの言葉が非常に気になっています。

the first thing we ask is
what do we want people to feel?
 
delight
 
surprise
 
love
 
connection

Appleが製品を作るとき(Designするとき)、一番最初に考えるのが“what do we want people to feel?”だとしたら、iOS7のデザインではどういう感情を持って欲しかったのだろうか?

iOS7のデザインの議論をしている人の中で、この点を述べている人はほとんどいません。デザインとしての統一性、バランスについて議論している人は多いのですが、そのデザインが人にどういう感情を持たせるかについては議論がないのです。

使い勝手について議論している人はいます。ボタンを立体的にすることによって、「これはボタンだよ」というのを強調しているのがiOS 6でしたが、iOS 7ではそれが無くなってすべて平面的になっています。そのため、どこがボタンかがわかりにくくなったという議論です。これは使い勝手の議論としては確かにそうなのですが、やはり感情の議論がありません。

私が知る限り、感情の点を挙げているのはMatt Gemmell氏だけです。彼はブログの中でこう述べています

iOS 7 is much, much lighter – in the colour sense, and consequently also in visual weight. Breathable whitespace is everywhere, and is used to unify and homogenise previously disparate interface styles.
 
The overall impression is of brightness and openness.

Where there were previously gloomy cubbyholes and low ceilings, there are now floor-to-ceiling windows, skylights, and clean surfaces.

昔からAppleを見てきている人は、Appleが一貫してUIの使いやすさにこだわってきた会社だと知っています。MacOS 1 – 9までは、コンピュータグラフィックスの能力が十分ではなかったこともあり、UIは必然的に平面的でした。アイコンもボタンも非常にシンプルでした。その分、デザインの一貫性を徹底させて、わかりやすいUIを実現していました。ただその一方でひどく地味で、Windows 95が出てきた頃には古くさくなっていました。

Steve JobsがNeXTで作っていたUIは、コンピュータグラフィックスの進化に合わせて徐々に写実的になってきました。写真的なアイコンを使い、立体的なUIになってきました。そしてそれはMacOS Xにも引き継がれました。

iOS6までは、NeXT以来の流れでUIがデザインされていた感じです。

iOS7はNeXT UIとの決別です。NeXT以来の写実的なアイコンとの決別です。そして古いMacOS以来の使いやすさへのこだわりとの決別でもあります。もちろん使いやすさを捨てているわけではないし、それは別の方法で確保すると思いますが、使いやすさよりもまずは感情を優先させているのではないかと思います。

かなり大きな違いです。